イエス・キリスト

あなたは、イエス・キリストを知っていますか。
きっとあなたは、クリスマスを知っているでしょう。十字架も見たことがあるかもしれません。

けれども、「イエスとは、いったい誰なのか?」と問われたら、どう答えるでしょうか。
イエス様は、偉大な宗教家だったのでしょうか。人々に愛を教えた、立派な先生だったのでしょうか。
聖書が語っている答えは、それよりはるかに驚くべきものです。

天におられた神が、私たちの世界に来られました。
人の姿をとり、人間の言葉を話し、人間として苦しみ、そして人間として死なれました。


クリスマス ― 神が私たちのところへ来られた日

Adoration of the Shepherds by Gerard van Honthorst

イエス様の誕生は、華やかな王宮で起こったのではありません。
ユダヤの小さな町ベツレヘムで、貧しい夫婦のもとに生まれ、家畜小屋の飼い葉桶に寝かされました。
イエス様は、聖霊によってマリアに宿り、お生まれになりました。
イエス様の誕生は、神ご自身が与えてくださった、まったく新しい始まりでした。

神は、人間を遠くから眺めているだけではありませんでした。
私たちの世界に入って来られたのです。私たちと同じ人間として生きるために。
これがクリスマスの出来事です。

聖書は、イエス様が「インマヌエル」と呼ばれる方であると預言していました。
「インマヌエル」とは、ヘブライ語で「神は私たちと共におられる」という意味です。
その名の通り、イエス様は苦しむ人々と共におられました。
悲しむ人、病気の人、孤独な人、罪を抱えている人、社会から見捨てられた人のそばにおられました。


神の国の宣教

Christ in Gethsemane by Heinrich Hofmann

イエス様は30歳の頃、「神の国」を宣べ伝えはじめられました。

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」

ーマルコによる福音書 1章15節

人間となられた神が「王」として、この世界を治め始める。
悪に支配されているこの世界が、神の正義と愛によって治められる。
罪によって壊れてしまった世界を、神がもう一度取り戻し、回復してくださる。

それが「神の国」です。

イエス様は、神の国を言葉だけで語ったのではありません。
病気の人を癒し、飢えている人に食べ物を与えられました。
人々の苦しみを自らの痛みとして共に担い、人々を救われました。


しかし、人々はイエスを受け入れなかった

El_Expolio by El Greco

イエス様の愛は、すべての人に歓迎されたわけではありません。
イエス様の言葉は、人間の心の奥にあるものを明らかにしたからです。

自分が正しいと思いたい。自分の欲望のままに生きたい。
自分が神であるかのように、自分中心に生きたい。
イエス様は、そんな私たちの罪を明らかにされました。

罪が支払う報酬は死です。
しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

ーローマの信徒への手紙 6章23節

「罪」とは、創造主である神に背き、神を離れて、自分中心に生きることです。
聖書は、その罪の結果は死であり、私たちは神の前で、その責任を負うべき者であると語ります。

だから、人々はイエス様を拒み、叫びました。

群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」
ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」
群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。

ーマルコによる福音書15章13〜14節

これは、私たちすべての人間の叫びです。
「神なんていらない、自分ひとりで生きていける」という叫びです。


十字架 ― 神はそれほどまでに、私たちを愛された

Christ on the Cross by El Greco

なぜ神であるイエス様は、十字架にかからなければならなかったのでしょうか。
イエス様は逃げることもできました。力を使って敵を滅ぼすこともできました。
しかし、そうなさいませんでした。

裏切った弟子たちを愛し、自分を殺そうとする人々をも愛されました。
そして十字架の上で、こう祈られました。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」

ールカによる福音書 23章34節

人間が神に背を向けたその場所で、神は人間に背を向けられませんでした。
私たちが神から離れていったその場所まで、神の愛は追いかけて来られたのです。

十字架は、ただ悲しい出来事ではありません。そこでは、とても大きなことが起こっていました。
本来、私たちは自分の罪の責任を、神の前で負わなければならない者でした。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が滅びないで、永遠の命を得るためである。

ーヨハネによる福音書 3章16節


復活 ― 死に勝利された神

イエス様は墓に葬られました。
弟子たちは絶望しました。すべてが終わったと思いました。

しかし、3日目の朝。女性たちが墓へ行くと、墓は空になっていました。
そして弟子たちは、死んだはずのイエス様に出会ったのです。

この世界には、死があります。病があります。戦争があります。
憎しみがあります。別れがあります。涙があります。
そして私たちは皆、いつか死を迎えます。
どれほど豊かに生きても、どれほど成功しても、最後には死が待っています。
人間は、自分の力で死から逃れることはできません。

しかし、イエス・キリストは死を打ち破って復活されました。
そして今も、永遠に生きておられます。

イエス様はおっしゃいました。

「わたしは復活であり、命である。
 わたしを信じる者は、死んでも生きる。
 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。
 このことを信じるか。」

ーヨハネによる福音書11章25〜26節

イエス様は、ご自分を信じる者に永遠の命を与えると、約束されたのです。


復活の主イエス・キリストは、今も生きておられる

復活したイエス様は、天に昇られる前、弟子たちにこう言われました。

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」

ーマタイによる福音書 28章19節

そしてイエス様が天に昇られた後、弟子に聖霊が降り、大胆にイエス様を宣べ伝えはじめました。
エルサレムから、ユダヤへ。ユダヤから、サマリアへ。そして、地の果てへ。

「イエスは復活された!」
「イエスが私たちを救ってくださった!」
「イエスは私たちの主、神であられる!」

あなたの人生には、誰にも話せない苦しみや悲しみがあるかもしれません。
人生に何の希望も見出せないと思っているかもしれません。

もしそうなら、十字架のイエス・キリストを見上げてください。

イエス様は、苦しみを知らない神ではありません。苦しみの中に入って来られた神です。
孤独を知らない神ではありません。孤独を味わわれた神です。
涙を知らない神ではありません。涙を流された神です。
死を知らない神ではありません。私たちのために死なれた神です。


イエスとは誰か?

Jesus Christ on Sea Water by Ivan Aivazovsky

クリスチャンになったからといって、苦しむことが全くなくなるわけではありません。
私たちの人生には、苦難があります。しかし、イエス様は、はっきりと宣言されます。

「あなたがたには世で苦難がある。
 しかし、勇気を出しなさい。
 わたしは既に世に勝っている。」

ーヨハネによる福音書16章33節

イエス様と共に生きる時、どんなにこの世に苦難があっても、人生が暗闇のような苦しみの中にあっても、必ず光がもたらされます。
主イエス・キリストが、暗闇の中に落ち込んでいく私たちの手をつかんで、救ってくださいます。

そして、イエス様は終わりの日に、この世に再び来られると約束されました。
その時、神の国は完成し、すべての涙が拭われます。
私たちは、その希望をもって生きるのです。

どうぞ教会においでください。イエス様に出会ってください。


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